古民家
小矢部市名誉市民である実業家大谷米太郎・竹次郎兄弟の生誕の地に、1935年に米太郎氏が建て直した住宅で、妻のハルさんが1957年に亡くなるまで暮らしていた。 敷地図 間取図 表門 アズマダチ 広間 奥座敷 離れ座敷 茶の間 脱衣所と風呂 全景
旧田中家のこと。田中家は江戸時代から漁業を営み、網元をしていたという。明治時代に北海道との交易、金融業などで財を成した。代々の当主が勘兵衛を名乗ったことから勘兵衛はうすという。明治から昭和にかけての建物である。 案内板 建物概要 間取り図 建…
天気が良いので久しぶりの金沢散歩。加賀百万石の本拠地、空襲にも会わなかった町。やっぱり散策すると古い家屋、石垣、用水などが沢山あって面白い。 ●中村記念美術館金沢で酒造業を営んだ実業家で茶人の中村栄俊氏の収集した茶道具、近世絵画、古九谷、加…
立山博物館周辺施設の三つのゾーン、教界、聖界、遊界の一つ。●善道坊 立山に登るための宿坊。全景。 仏間の須弥壇。 ●嶋家。 細入村片掛の飛騨街道筋にあった18世紀に建てられた古民家。全景。 居間。 ●有馬家。 立山町に18世紀に建てられた豪農宅。全…
江戸時代に回船問屋や酒造業を営み庄屋も務めた豪商の住宅。明治12年から10年がかりで造られた。能登の海。 外観。 説明板。 正門。 巨大な飛石。 米蔵。 広間。 広間の梁。 仏間。 曲面を描く襖。 下座敷。 上座敷。 茅葺屋根を害虫、害獣から護る煙。 庭園…
石川県加賀市橋立町ラ47北前舟の船主として財を成した酒谷家の建物。 庭園にある、瀧石の自然石があまりにも亀に似ていることから、 大聖寺藩14代藩主・前田利鬯(まえだとしか)公により蔵六園と命名された。 蔵六とは亀の異名であり、亀は六を蔵(かく)…
砺波平野の散居村を特徴づける屋敷林を「かいにょ」と呼んでいる。 かいにょ苑とは砺波平野散村地帯の典型的な大型農家である旧金岡家住宅の愛称である。 砺波地方の農家では、明治末期ごろから、一般的に屋根に瓦が使われるようになったが、 旧金岡家住宅はそ…
成巽閣(せいそんかく)は1863年、 第13代加賀藩主・前田斉泰が、兼六園と隣接した場所に、 母・真龍院の隠居所として建てたものである。 1階は書院造、2階は数奇屋造になっており、 江戸時代末期の大名屋敷の代表的建築物として、 国の重要文化財に指…
若狭街道は、小浜市から若狭町の日笠を通り、熊川を経て、 滋賀県高島市朽木を越え、大原八瀬より京都への道である。 古代より大陸文化の受け入れ口のひとつであった若狭地方と、 畿内を結んで、多くの人や物、そして文化が行き交った。1589年、若狭の領…
輪島市門前町黒島町は、 江戸時代に幕府の天領となり、 北前船の船主、船頭の居住地として、 江戸時代後期から明治時代中期かけて栄えた町。 重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。 その中核をなすのが、 北前船の廻船問屋として栄華を誇った角海家…
金沢の奥座敷といわれる湯涌温泉にある野外歴史博物館。 江戸時代の加賀藩を中心とした民家などの歴史的建造物を、 移築保存し公開している。 武家門1棟、商家2棟、武家1棟、宿場問屋1棟、農家4棟、 計9棟が展示されている。案内図。 ●多賀家表門●旧所…
寺島蔵人は、 人持組2280石・原元成の三男として生まれ、 1801年に寺島家の養子となって禄高450石を相続し、 加賀藩の中級武士として越中高岡町奉行など、 農政や財政の実務を担当した。 有能な藩士であると同時に、 思いやりが深く正義感の強い…
飛騨を平定した金森長近は、 飛騨高山の街づくりを行う一方、 子の可重に増島城を築城させ、 古川の街づくりを進めた。高山の奥座敷といわれる飛騨古川は、 古い町並み、白壁土蔵、お寺、川や用水などが、 凝縮されて落ち着いた風情を醸し出している。なお、…
高山は、初代高山藩主・金森長近により、 商業経済を重視した城下町として形成され、 城を取り囲んで高台を武家屋敷、 一段低いところを町人の町とした。 この町人町の一部が現在の伝統的建造物群保存地区である。 町人地は武家地の1.2倍と広く、 全国の城…
懐華楼は、金沢ひがし茶屋街にある金沢で一番大きなお茶屋。 昼は一般に広く公開されているが、 夜は一見さんお断りで、 今もなお一客一亭で華やかなお座敷が上げられているそうだ。ひがし茶屋街。 懐華楼。 玄関。 輪島塗の階段。 階段室の吹き抜け。 二階…
町の名は加賀藩士・富田主計の邸宅があったことに由来する。 1869年に遊郭が認められると次第に発展し、 明治時代中期には三茶屋街のひとつとして大いに賑わったそうだ。 現在、営業中の茶屋は4軒、芸妓は12人。 三茶屋街の中で一番こじんまりしてい…
1820年、第12代藩主・前田斉広によって、 整備が許された区域で、ひがし茶屋街と共に誕生した。 現在、営業中の茶屋は5軒、芸妓は23人と三茶屋街の中で最も多い。案内図。 西茶屋資料館。 お茶屋「吉米楼」跡地に当時の造りを再現したもの。
石川県羽咋郡宝達志水町荻谷ニ42。岡部家住宅は、1736年に建てられたもので、 加賀藩十村役を務め、1853年には、 第12代加賀藩主・前田斎泰による能登巡行において、 宿泊本陣を務めた格式を残している。旧式台門。 主屋。 平面図。 式台。 煙にむ…
石川県羽咋郡宝達志水町北川尻ラ1-1。喜多家は加賀藩十村役を勤め、2300石余りを有した豪農。 敷地面積7600坪、建物面積170坪、1718年完成。 加賀藩からの拝領品などを展示した大きな資料館を併設している。入口。 前庭。 表門:十村役門。 …
石川県野々市市本町3-19-24。1850年代に村井村(現在の白山市)に建造された農村の商家で、 表構えは町屋、間取りと構造は農家という複合建築物である。 魚住家はこんかにしんや肥料などを売る商売をしており、 店舗兼住宅として使用され、店ノ間には商…
石川県野々市市本町3-8-11。喜多家はもとは越前武士だが江戸中期に加賀に移住した。 その後、野々市で油屋、幕末からは酒造業を営んだ旧家である。 野々市市にありながら金沢の町家の典型とされるのは、 建物が金沢から移築された物だから。 1891年に野…
石川県加賀市橋立町イ乙1−1。北前舟の船主として財を成した酒谷家の建物。 現在の建物は1876年に建てられたもので、 オエと呼ばれる30畳の大広間は八寸角の欅材をはじめ、 太い松材の梁、秋田杉の一枚板の大戸など贅を尽くして造られており、 当時の…
片貝川上流の平沢に1860年頃建てられたもので、 当時の新川地区山間部の代表的な民家。 魚津市小川寺天神山1070。ニワ(土間)。 ニワの天井。 ニワの吹き抜け。 便所。 水屋(台所)。 広間(オイ)。 広間の天井。 寝間(ねま)。 座敷。 座敷の天井。
呉羽丘陵の一隅に学習と憩いの一体化を願って開かれた。案内図。 ●民俗資料館●富山市山田中村(旧山田村)にあった谷浦家住宅を移築した。 収蔵資料は、衣・食・住を中心とする生活用具、 農耕や養蚕などの生産用具、祭礼用具など約1900点。木造平屋建て…
加賀藩士が住んでいた屋敷跡であり、 土塀の町並みが続き、用水が流れる。案内図。 ●町並み●立派な馬酔木。 塀を貫く松。 大野庄用水。 ●金沢職人大学校長町研修塾●園路。 茶室:匠心庵。 蹲。 ●野村家●野村家は前田利家の直臣で禄高1200石、約1000…
ひがし茶屋街は1820年につくられた。 現在、8軒が営業しており、芸妓も14人いる。 夜になると笛、太鼓、三味線などの音が流れてくるそうだ。案内図。 浅野川大橋。 橋を監視するワンちゃん。 東山の細い路地。 中田屋:和菓子。 蛍屋:加賀料理。 陽…
富山県南砺市西赤尾町857-1。五箇山は、元々は五箇谷間と書き、 赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の五つの谷に村々が散在していた。 これらの村々は源平合戦に敗れた平家の落人が作ったものだともいわれる。500年ほど前から塩硝づくりが盛んで、 金…
1883年に初代富山県知事・国重正文のために富山市に建てられたもの。 国重の退任後、空き家になっていたが、 黒部の豪農・西田収三が買い取って黒部市若栗に移築した。 国重は山口県出身で長州藩士、後に内務省に入り、 1883年に富山県令、官選だが…
1887年建造。 観たことはないが、 アニメ「おおかみこどもの雨と雪」のモデルとなった家らしい。平面図。 正面。 東面。 南面。 西面。 玄関。 旧玄関。 旧馬小屋。 囲炉裏部屋。 風呂。 旧台所。 新台所。 大広間。 勉強部屋。 寝室。 ぶら下がっている…
江戸時代後期の多い時には33もの宿坊が芦峅寺にはあったという。 宿坊は立山に参拝するために全国から集まった人々が宿泊する施設である。朝早く宿坊を出発した立山参拝者は、藤橋を渡り、材木坂を登り、 弥陀ヶ原を越え、次の宿泊所である室堂を目指した…