寺島蔵人は、
人持組2280石・原元成の三男として生まれ、
1801年に寺島家の養子となって禄高450石を相続し、
加賀藩の中級武士として越中高岡町奉行など、
農政や財政の実務を担当した。
有能な藩士であると同時に、
思いやりが深く正義感の強い人物であった蔵人は、
民の生活を圧迫する藩政を批判し、
罷免などの処分を度々受けた。
蔵人の年寄政治批判は徐々に同調者を集めたが、
藩はこの対処として蔵人に流刑を申し渡し、
1837年に能登島へ送られ、
病のため半年後に同地で61歳の生涯を閉じた。