歩行
呉羽丘陵散策の仕上げ。特に見どころもないが、手ごろなウォーキング。歩行距離2.1km、歩行時間35分、高低差64m。 今日歩いたルート 富山大学附属病院4年前、お世話になった人生最後の砦。 北陸自動車道法面上部から見る富山市街 杉谷二番古墳 竹…
呉羽丘陵の滝といえば、朝日の滝だが、他にも滝があるらしいので、調査。城山からファミリーパークの方へ行く途中に下り口がある。結構下って、山の中にぽっかり開いた盆地みたいなところに滝が落ちている。朝日の滝より滝らしかった。その下には謎の皇祖皇…
先日、城山を歩いたが、折り返し点あたりは力尽きてしまった。今日は、そのあたりを散策。時間1:05 距離3.9km 高低差162m 今日歩いたルート 朝日の滝 古沢塚山古墳 杉谷の霊水
天気はもう一つだが、気分転換に里山歩き。呉羽山断層の逆断層で盛り上がった呉羽丘陵。昔は茶畑だったが今は梨畑ばかり。丘陵はのんびりしていいなあ。時間1:10 距離4.9km 高低差109m 今日歩いたルート 茶畑と梨畑
呉羽丘陵のうち、城山はこの前歩いたので、今回は残りの呉羽山へ。ここは里山らしくのんびりと歩けて良い。山全体が観光地化しているようで、建物の密度が高く、飲食店もよく見かける。時間0:50 距離3.1km 高低差99m 今日歩いたルート 富山観光ホテルの跡…
1900年代初期に、内陸部への舟運、旧神通川の埋立て土砂採取のために造られた運河。陸上交通の発達に伴い使命は終り、荒廃したが、近年、環水公園として整備された。歩行距離5.5km、歩行時間1時間30分。 今日歩いたコース 環水公園 中島閘門。運…
2年ほど山には登っていない。 いきなり再開するのは怖いので、まず歩いてみた。歩行距離6km、高低差40m、歩行時間1:50。 今日出会った歩行者5人。ルート。 周回遊歩道。 キジムシロ。 イカリソウ。 どんぐり橋。 古洞池。
久しぶりにクロスカントリーコースを5周歩いてきた。 朝早くから車が多いと思ったら、 全日本少年サッカー富山県大会の開会式と、 カターレ富山VSジェフユナイテッド千葉戦が行われたようだ。ライカくん。 雷鳥の「ライ」、カモシカとカターレの「カ」を…
古洞ダムによって造られた人造池。 呉羽丘陵、射水市、婦中町にかけて、 約800haの田、畑、樹園地に農業用水を供給している。 周囲は「県民公園 野鳥の園」に指定されており、 一周5.7kmの散策路がある。 また、古洞の湯、富山市天文台などもあり、夏…
江戸時代初期まで金沢と富山を結ぶ街道は、 戸出・太閤山を通るルートだった。しかし、1609年に高岡が開町されると、 高岡・小杉を通るルートが新設され、これが本道になった。また、1939年に富山藩が分藩されてからは、 小杉から下村・岩瀬を経て水…
この用水は、神通川第三ダムで取水したのち、 富山湾まで30kmを流れ下るが、 最初は7つの発電所で小水力発電を行って10000kwの電気を供給し、 井田川と山田川の下をサイフォンで潜り抜け、 富山市内では水辺の環境を創り出し、 そして最後に富山…
婦負の山々の入口に位置するこの町が、 古くから発展していただろうことは容易に想像が付くが、 歴史上は1551年に創建された聞名寺の門前町として発展した。また、1636年、 米屋少兵衛が加賀藩から「町建御墨付」を拝領して町としての格式を得た。さ…
呉羽丘陵とは、北は長岡墓地から南は富山大学付属病院まで続く低山帯を指すが、その中心は呉羽山と城山である。一般的にはこれらすべてを呉羽山と呼んでいて、城山も呉羽山に含まれてしまうことが多い。富山百名山にも呉羽山が選定されたが、城山を中心とし…
昔々、日出づる国へ日暮れ(クレ)る国から機織(ハタオリ)技術者集団がやって来て繁栄した。いつしか(クレのハタオリ)達は(クレハトリ)と呼ばれるようになり、漢字では(呉服部)と書く。呉羽丘陵の北西端に姉倉比売神社が古墳の上に建立されているが…
1639年、加賀藩第3代藩主前田利常は隠居するにあたって、 加賀藩119万石から富山藩10万石、大聖寺藩7万石を分藩し、 加賀藩主に長男光高を、富山藩主に二男利次を、大聖寺藩主に三男利治を就かせた。これは、あまりにも大きな外様大名だった加賀…
岩瀬は1000年以上前から日本海側の主要港であった。江戸時代も加賀藩の重要な港であり、 神通川舟運の起点や北前船の寄港地として多くの物資が集まった。また、加賀藩新川領の年貢米の積み出し港ともなり、 加賀藩の御蔵が建ち並び、年貢米がここから瀬…
高岡開町の祖 前田利長公 関係歴史年表 1585年 8月 二上山守山城主。 1597年10月 富山城に移る。 1598年 4月 第2代加賀藩主となり金沢城に入城。 1605年 6月 家督を利常に譲り新川を養老領にして富山城に隠居。 1609年 3月 富山…
かつてこの地は、放生津潟が広がり、隣接した低湿地帯は水田であった。越の潟と堀岡はほぼ陸続きで道路もあり電車も走っていたが、 放生津潟を掘り込んで富山新港が建設されるのに伴って分断され、 以後、渡船が運航されるようになった。1968年、富山新…
今は、奈呉ノ浦に面した漁業の町。 昔は、射水平野の各地から水路を使って放生津潟に集まった物資を、 内川を経由して日本海へ送り出す、海運業でも栄えた町。 この放生津潟は富山新港に生まれ変わったが、 内川沿いの新湊は昔の面影を今も残している。 海か…
かつて海運業で栄えた伏木地区は、当時の繁栄を誇る歴史的建造物が残り、また霊峰二上山、日本海、小矢部川に囲まれた風光明媚な地であり、 現在でも海上交通の要をなし、高い山々に囲まれて佇む富山県にあって、 いささか異文化の漂う町である。歩行距離1…
746年、大伴家持は越中の国守として伏木の地に赴任した。 当時、奈良の都では大仏造営が計画されており、その資金造りのため平野が広がり生産力の高い地には有力な役人が派遣されたという。 「玉くしげ二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり」 奈良の都か…
昔よくウロウロしていた街をまたウロウロした。 加賀藩に属し、前田利長が隠居するために造った高岡城の城下町であり、空襲にも会わず、趣ある街である。 相変わらず静かで落ち着いたところだった。歩行距離14km、歩行時間3時間30分。今日歩いたルー…
前回は街角ウォッチング半分で、のんびりと歩いた。 今回は時速6kmの早足を目指したが、結果は5.6kmだった。 条件が悪すぎたのと、終始傘をさしての歩きだったことを考慮すると、早足と駆足を織り交ぜれば6時間ぐらいで行けそうな気もする。 今日は…
先週は東京マラソンで盛り上がっていたようだが、フルマラソンの距離を確認すべく歩いてみた。 今日は時々雪が舞い風が強く寒い一日だったが、大崩れすることがなかったので歩き続けられた。 時速5kmで歩き続けたことになるが、時速6kmなら7時間歩き…
山ばっかり行ってるのに飽きてきたので、ちょっと趣を変えようと思ったが、びっくりした。 近江今津を過ぎたあたりで前の方から20cmぐらいの白い物体が山の斜面を横っ飛びしながらバウンドしてきてサンダーバードの窓を直撃。 当たったところは蜘蛛の巣…