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散歩をしていると、あちこちに春が来ているようだ。 近所の春 ふるさと自然公園の春 呉羽丘陵の春 春の春
7基の円墳と2基の前方後円墳からなるが、7基の円墳は畑となり、1基の前方後円墳の前方部も畑となっている。2基の前方後円墳は国の史跡として指定を受け整備されている。1号墳は柄鏡の形状をした前方後円墳で全長62m。2号墳は帆立貝の形をした前方後円墳で全…
氷見市南部の丘陵に築造された前方後方墳。墳丘長は約108メートル、日本海側で最大規模。3世紀末から4世紀初頭頃の築造と推定される。その昔は古墳の所在する丘陵下には布勢水海が入り込み、富山湾を中心に日本海の海上交通を掌握した被葬者像が想定される。…
金沢は浅野川と犀川の河岸段丘上に発達した町だ。金沢を形成する重要な河川・浅野川には、七つ橋渡りという風習がある。七つ橋渡りとは、「春秋の彼岸中日の深夜、数珠を持ち、新しい下着をつけ、一筆書きのように、浅野川に架かる七つの橋を、川上から川下…
1585年に二上山の守山城主となった前田利長は眼下に広がる関野の地に目を付けていた。利長は1598年、第2代加賀藩主となり、1605年に引退。富山城に移ったが火災で焼失。当時、バテレン追放令を受け、前田家に客将として身を寄せていた高山右近の設計により、…
1600年代の初め頃、加賀3代藩主・前田利常が犀川沿いに堤防を造り、それまで河原だったところに武家の住宅街を造った。そして、武家の買い物の場所として一直線に伸びる商店街が形成された。それが現在の竪町通り。幅4.5メートルの道幅は、竪町が誕生…
前回はメインストリートを中心に。今回は、その続きと裏通りも。 食堂・天保以前は普通の食堂だったが、町並みに合わせて改装、古風な様相に変わった。 舛田酒造場このあたりは舛田酒造の建物が密集している お地蔵さんの立派な家 浄土真宗本願寺派盛立寺と…
岩瀬は加賀藩に属し、往還道も通って繁栄していた。江戸後期から明治中期にかけては北前船の寄港地としても繁栄した。今も、その面影が残る魅力ある町だ。 岩瀬の町並み、旧北国街道 廻船問屋・森家 廻船問屋・馬場家 岩瀬大町公園 桝田酒造店 谷野岩瀬医院 …
かつて穂高方面に通っていた時、よく通過した町。カドミ汚染源のある町。さて、その実態は如何に。神通川の河岸段丘上に発達した町だけあって坂と階段が多い。古い町並みではないが、何となく八尾に似ている。冬は雪と寒さで厳しそうだ。 ●神岡鉱山煙害でや…
以前は宇奈月温泉街で行き止まりだったような気がする。その後、宇奈月ダムができ、さらに奥まで行けるようになったようだ。奥に行けば変わった風景でもあるかと思ったが、特別なものはなかった。 とちの湯一般者が行ける最奥にポツンとある正式名は「尾の沼…
富山港の展望台は灯篭のようで比較的名が売れている。一方、こちらは余り知られていない。上ってみても特によく見えるものもないが、大きな船が来た時には作業状況が良く見えて面白そうだ。 富山新港展望台 新湊大橋 通常のクレーン 通常のクレーンとは違う…
聞名寺の門前町として発展した八尾。かつては養蚕、製紙などで富山藩の財政を支えた。現在では、おわら風の盆、曳山祭、カヌーなどで有名だが、最近、こんなイベントも始まった。 八尾は坂の町 こんな所で生活が成り立っている 厳しそうな生活 聞名寺 坂の町…
敦賀は古代より大陸と都を結ぶ重要拠点であった。現在でも、鉄道や高速道路の接合地であり、3本の国道が走り、敦賀港には北海道行きのフェリーが開設されているなど、日本海側の交通の要衝である。2022年には北陸新幹線も開通する。 ●気比神宮北陸道総…
1576年、織田信長の家臣・金森長近が大野盆地が見渡せる亀山に大野城を、その東麓に碁盤目状の城下町を造り始めた。大野市は奥越地方の中心地として栄え、北陸の小京都と呼ばれている。 普通、城下町というと、細い曲がりくねった道が続く、わかりにくい…
豊臣秀吉の越中攻めの際、 呉羽丘陵の白鳥城に陣を敷いたが、 その出城であったと言われている。資料館。 模型。 全景。 本丸。 二の丸。 右郭。 土塁の構造。 蓮の花。 白鳥城跡方面。
柱状節理と自殺で有名な東尋坊。 年間150万人も観光客が訪れる。 人だらけのこんなところで自殺者がいるというのが不思議だ。 足場の悪い岩場に立つと、くらくらして簡単に落ちそう。 そんなことで運悪く落ちる人もいるのだろう。東尋坊タワー。 門前町。…
1983年にオープンした県民公園。 118haの広大な区域に色々な施設が点在し、 その全容は把握しきれない。 ちなみに、太閤山という名は、1585年に豊臣秀吉が、 越中を治めていた佐々成政を討伐した、 いわゆる越中攻めの際、陣を敷いたことに由来…
今日は「有峰で遊ぼう!!」の日。 普段なら1900円もする有峰林道の通行料がタダ。 かつては断崖絶壁の恐ろしい道が続き、 容易には行けなった秘境・有峰も、 道が良く整備され、簡単に行けるようになった。 下界は35度でも、ここは22度。 はるかに遠い白山の…
この季節、花はないが、景色は良い。案内板。 花壇に、わずかばかりの花。 金沢市街が良く見える。 普段は景色が良くて、いい所だろうが、雨が降ると怖いだろうな。
越前加賀海岸国定公園にある岬で、白亜の灯台と青い海が美しく、日本海の大パノラマが楽しめる。1952年に建てられた灯台。 加佐ノ岬。 福井方面。 金沢方面。 遠洋。 加佐ノ岬倶楽部。 岬の入口にひっそりと建ち、飲食ができる。
宝達山は「ほうたつさん」ではなく「ほうだつさん」と読むらしい。 標高は637m、能登半島で一番高い山だそうだ。 紅葉と日本海の眺望を求めて、ぐにゃぐにゃの細い悪路を走って行ったが、紅葉に見るべきものはなく、日本海も霞んでいた。宝達山頂休養施…
おとぎの森は花や緑のあふれる総合公園。 千保川が中心を流れ、広々とした芝生の広場や、大型遊具などが揃っている。 今の時期はバラが楽しめる。
氷見市の小高い丘の森の中にある、花と緑あふれる西洋風の庭園。 チューリップ、バラ、ユリなど四季折々に変わる花々を、雄大な海越しの立山連峰にも癒されながら、楽しめる。 今の時期には、バラ園で約240品種3,000本のバラが満開だ。 園内は広くもなく、狭…
金沢市の南部に広がる丘陵地帯に整備された広大な公園。 当然、眺望が素晴らしく、ぎっしり詰まった金沢の街並みの向こうに日本海が見渡せる。 約13,000株のツツジをはじめ、アジサイ、サクラなど。 今の時期はツツジが満開で、多くの人が訪れる。 人に…
鋳物メーカー能作は「産業観光」をコンセプトにした新社屋を4月27日にオープンした。 高岡市オフィスパークの広大な敷地に建設された新社屋では、年間5万人以上の見学者の受け入れ体制を整え、伝統産業を支える職人技術の奥行きを肌で感じ取れるそうだ。…
1932年に完成した金沢市営の浄水場。 犀川中流部の金沢市寺津町を源とする寺津用水が水源となっている。 1985年に近代水道百選に選ばれ、2001年に沈澱池、ろ過池などが登録有形文化財に登録されている。 また、浄水場内には1932年に設けられ…
辻家庭園は大正初期に北陸の鉱山王として知られた横山家の別荘兼迎賓館の庭園として造られた。 当初は建物を含め約40億円の予算で造られ、広大であったが、現在は庭園の中心部だけが残されている。 横山家の衰退に伴い、戦後、近隣に住んでいた辻家の所有…
この付近一帯は江戸初期まで、 「霞ケ野」と呼ばれる沼や沢のある原野であった。 1615年、前田利常から加賀八家筆頭の本多家が、 周辺一帯約10万坪を与えられ下屋敷となった。 1907年、上屋敷から「松風閣」が移築され、 庭園も松風閣庭園と呼ばれ…
玉泉園は加賀藩大小将頭であった脇田直賢が江戸初期に着工し、 約100年の歳月を費やして完成されたものである。 玉泉園の名は、前田利長の妻・玉泉院からとったもので、 脇田直賢は同夫人の配慮によって妻を娶ったことに由来する。 藩主の信頼厚く、池泉…
丸岡城は1576年、一向一揆の備えとして織田信長の命により、 柴田勝家が甥の勝豊に築かせた最古の建築様式を持つ平山城。 以後、城主は変遷したが、1695年からは有馬氏の居城となり、 丸岡藩5万石の藩庁として幕末に至った。全景。 石積。 屋根瓦。…