また、1770年頃、焼失した瑞泉寺本堂の再建の際、
京都本願寺から御用彫刻師前川三四郎が本堂彫刻のため派遣され、
番匠屋七左衛門など井波大工がこれに師事して井波彫刻が始まった。
以来、日本全国の寺社彫刻を手掛けてきた。
主力は民家の欄間、獅子頭、天神様彫刻へと移り変わったものの、
木彫りの町の伝統を受け継いできた。
獅子の子落とし。
1993年に造られた木彫りの里・井波のシンボル。
瑞泉寺勅使門に番匠屋七左衛門が彫った「獅子の子落とし」に由来する。
高瀬神社。
創建は300年頃か。
主祭神は大国主命であり、
福の神、縁結びの神、国土開拓・農耕の神、医薬医療の神である。
高瀬遺跡。
800年頃にあった東大寺領荘園の役所跡。
あずまだち高瀬。
「あずまだち」は、
「吾妻建ち」の場合は、家の入口を妻の部分に造ることを意味し、
「東建ち」の場合は、入口を東側に造ることを意味する。
正面が瑞泉寺。
黒髪庵。
1810年、第11代瑞泉寺住職浪化上人の遺徳を偲んで建立。
浪化上人は松尾芭蕉に入門し、越中俳壇の中心をなした。
黒髪庵翁塚。
浪化上人が1700年に建立したもので、
義仲寺の松尾芭蕉の墓にあった小石3個と松尾芭蕉の遺髪を納めている。
瑞泉寺。
1390年、綽如上人が創建。
井波城址。
1484年頃、瑞泉寺を城塞化したもので瑞泉寺城ともいう。
1579年、佐々成政に攻められ落城。
1585年、豊臣秀吉の越中攻めの際に廃城となった。
本丸跡、井波八幡宮。
臼浪水:きゅうろうすい。
本丸にあり、かつては清らかな湧水だったので、瑞泉寺と名付けられた。
大門川河川公園。
中国の神話、天の四方の方角を司る霊獣、
四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)の彫刻を施した4つの橋がある。
井波彫刻総合会館。
欄間・獅子頭・天神様をはじめ、現代彫刻・工芸作品など、
井波彫刻の粋を集めた作品が、約200点展示されている。
井波物産展示館。
1922年から1972年まで、
石動〜福野〜庄川を走っていた加越線の井波駅舎。