瑞とは清らかなこと、泉とは湧水のことである。
1390年、第5代本願寺宗主綽如上人は、北陸に教えを広めるため、
寺務を子に任せて都を離れ、井波の杉谷に草庵を結んで暮らし始めた。
やがて、中国から天皇に届けられた難解な国書の解読を依頼される。
綽如上人が上洛する途中、喉が渇いて困っていると、
乗っていた馬が地面を蹴り、そこから清水が湧き出た、臼浪水である。
国書の解読に成功した綽如上人は、後小松天皇から一寺建立を許され、
ここに寺を建て瑞泉寺と名付けた。
1484年、城塞化され、井波城と称し、一向一揆の拠点となる。
1579年、佐々成政に攻められ落城、焼失する。
1585年、前田利長の支配下となり、西隣の現在地に再建された。
創建当初の瑞泉寺は、現在、井波八幡宮、古城公園となっている。
杉谷草庵跡。
越中に来た綽如上人が草庵を結んだ所。
瑞泉寺境内図。
大楼壁。
1821年竣工。
1762年の大火の後、防火壁として築かれた。
この石垣は城壁の様に見え、すぐに一向一揆との関係を連想させるが、
当時の瑞泉寺は現在地の東隣にあったので関係ないようだ。
井波風と呼ばれる八乙女山から吹き下りる強い南風によって、
フェーン現象が起こり、たびたび大火に遇ったので、
町民が西大谷川から石を運び築き上げたものらしい。
高岡門。
1930年建立。
瑞泉寺の入口。
高岡市周辺の門徒により建てられたので高岡門。
大門。
1809年建立。
山門とも呼ばれ、瑞泉寺の正門。
式台門。
1792年建立、勅使門とも呼ばれ、天皇の使者が出入りする門。
門柱に彫られた井波彫刻の祖、番匠屋七左衛門の「獅子の子落とし」。
太鼓楼。
1842年建立。
瑞泉寺内外に行事の合図のために太鼓を鳴らした所。
手水舎、奥に親鸞聖人。
本堂。
1885年建立。
本尊である阿弥陀如来を礼拝する場所。
太子堂。
1918年建立。
宗祖親鸞聖人が尊敬して止まなかった聖徳太子を祀る堂。
後小松天皇廟。
1926年建立。
香部屋。
瑞泉寺でお勤めをしたお坊さんが休む所。