この用水は、神通川第三ダムで取水したのち、
富山湾まで30kmを流れ下るが、
最初は7つの発電所で小水力発電を行って10000kwの電気を供給し、
井田川と山田川の下をサイフォンで潜り抜け、
富山市内では水辺の環境を創り出し、
そして最後に富山市と射水市の田畑2000haを潤して使命を終える。
1624年、神通川左岸が加賀藩の領地であった時代、
八町や下村近辺の農村からの強い要望を受け、
第3代加賀藩主・前田利常の命により工事が開始された。
当初は水源を山田川、水路幅を3.6mにする計画であったが、
1627年、水需要の増大を予測して、水源に井田川を加え、
水路幅も7.2mに変更され、1633年に完成した。
1639年、富山藩の分藩により流域の一部が富山藩の領地となったが、
領内に新しくできた村々からも引水の要望が多々あり、
水量を増やす必要が出てきたので、
加賀藩と富山藩が協議して神通川西派川の成子で取水する工事が始まり、
1654年に完成した。
この結果、神通川、井田川、山田川で取水して豊富な水量となり、
流域の石高が四万石にも達したことから四万石用水とも呼ばれた。
1955年には神通川第三ダムから取水するようになり、
1962年〜1978年にかけて近代化工事が行われ現在の姿となった。
名前の由来は、現場責任者が八ヶ山の切り通しに苦労していたところ、
「寝牛の首をとって草木眠る丑三つ時に人目を忍び難所に深く埋めよ」
との神のお告げがあり、
そのとおりにしたら工事が順調に進むようになったことによる。
歩行距離25km、高低差−90m、歩行時間5時間30分。
神通川第三ダム。
1955年竣工、高さ15.5m、堤長242m。
神通川第三左岸発電所。
1956年運転開始、最大出力7100kw、常時出力4200kw。
暗渠出口。
神通川第三ダムからここまでは基本的に暗渠であるが、
ここからは開渠となる。
薄島発電所。
1937年運転開始、最大出力5000KW、常時出力2600kw。
今は神明社となっているが、
江戸時代は取水口の近くにあった成子の宮のような気がする。
成子第二発電所。
1934年運転開始、最大出力1900kw、常時出力680kw。
成子発電所。
1922年運転開始、最大出力1400kw、常時出力680kw。
五平定発電所。
1922年運転開始、最大出力1800kw、常時出力1000kw。
四津屋発電所。
1922年運転開始、最大出力1500kw、常時出力570kw。
下井沢発電所。
1935年運転開始、最大出力800kw、常時出力420kw。
婦中町の流れ。
井田川頭首工。
井田川横断サイフォン入口。
井田川横断サイフォン出口。
山田川横断サイフォン入口。
山田川横断サイフォン出口。
呉羽山麓へ流れて行く。