越中万葉放浪
746年、大伴家持は越中の国守として伏木の地に赴任した。
当時、奈良の都では大仏造営が計画されており、その資金造りのため平野が広がり生産力の高い地には有力な役人が派遣されたという。
「玉くしげ二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり」
奈良の都からやって来た大伴家持にとっては、雪深く暗い冬が終わり新緑が萌え鳥が鳴く時が来て、さぞかしホッとしたことだろう。
歩行距離22km、高低差250m、歩行時間5時間。
伏木気象資料館。
大伴家持が居住した所といわれる。
勝興寺。
越中の国庁があったとされる。
寺井の跡。
「物部の八十娘子らが汲みまがふ寺井の上の堅香子の花」
正法寺。
武田家。
太田村の肝煎の家。
武田家は武田信玄の弟の子孫といわれる。
桜谷古墳群。
前方後円墳2基、円墳7基。
義経岩。
富山湾。
新湊大橋。
岩崎ノ鼻灯台。
越中国分寺跡。
気多神社。