1500年頃創建、浄土真宗大谷派明達寺。
明達寺の創建は不詳だが、伝承によると、
越中の豆腐屋の主人が出家し開山したのが始まりと伝えられている。
石川県白山市北安田町1106。
座右の書「歎異抄講話」の著者・暁烏敏が生まれた寺。
暁烏敏は1877年に生まれ、
若くして哲学者・清沢満之に師事し崇敬する。
1951年に東本願寺宗務総長に就任、1954年に没する。
歎異抄の写本に蓮如上人は、
「右、かくの聖教は、当流大事の聖教と為すなり。
宿善の機無きにおいては、左右無く之を許すべからざるものなり」、
と記し、危険な書として封印された状態にあったが、
暁烏敏は、これを公開して各地を講演して回り、
我々が歎異抄の存在を知るようにしてくれた大恩人である。
朧扇とは、朧月(12月)の扇、つまり冬の扇のこと。
清沢満之は自らを冬の扇のように必要のないもの役立たずと言っていた。
清沢満之賛辞の書。