かつてこの地は、放生津潟が広がり、隣接した低湿地帯は水田であった。越の潟と堀岡はほぼ陸続きで道路もあり電車も走っていたが、 放生津潟を掘り込んで富山新港が建設されるのに伴って分断され、 以後、渡船が運航されるようになった。1968年、富山新…
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