玉泉院は織田信長の娘であり、第2代藩主・前田利長の奥様。
利長の没後、利長の隠居城があった高岡から金沢に戻り、
金沢城の一画に屋敷を構えていた。
玉泉院が逝去した後、屋敷は撤去され、
その地は玉泉院丸と呼ばれるようになった。
第3代藩主・前田利常により作庭が始められ、
その後、歴代藩主により手が加えられていった。
饗応の場として活用された兼六園に比べ、
藩主の内庭としての性格が強い庭園だったと考えられている。
庭園は廃藩とともに廃絶されたが、
平成27年3月に復元された。
坪野石を使った石垣。
金沢城の石垣は戸室石で出来ているが、
戸室石の中に黒い坪野石を使った庭園風の石垣。
色紙短冊積石垣。
石垣の上部に滝を組み込んだ特別な石垣。
落水の背後に、
色紙形(正方形)・短冊形(長方形)の戸室石を段違いに配している。
段落ちの滝。
斜面を階段状に流れ落ちる落差約7mの4段の滝。