越中国と飛騨国を結ぶ飛騨街道は、
古くから人々や荷物が行き交う重要な交通路だった。
国境を監視する番所は早くから置かれ、
江戸時代には富山藩が神通川の左岸に西猪谷関所、
対岸には加賀藩が東猪谷関所を置いた。
西猪谷関所は橋本家と吉村家が代々関所番人を勤め、
両家は関所廃止まで、交通人の監視や、
出入りする米、塩、魚、木材などに、
口益銭(税金)を課す役目を受け継いだ。
江戸時代の猪谷(十万石富山御領図)。
中央の神通川を挟んで、
右側の富山藩と左側の加賀藩に関所がある。
円空仏。
細入地域には24体が見つかっている。
1639年に加賀藩から富山藩が分藩されて以後、
神通峡のあたりは左岸が富山藩、右岸が加賀藩。
関所模型。
左側は断崖絶壁の神通川。
面番所。
刺股、袖搦、突棒。
原則として過書がないと通れないが、例外もあったようで、
芸を披露して通った人もいたようだ。
越中からは米、塩、魚などが、
飛騨からは木材、漆、煙草などが運ばれた。
国境警備のため橋を架けることは許されなかったので、
籠渡しが代替手段となった。
籠渡しの部品。
半円形のものは刀良(とら)と呼ばれるもので、
現代の滑車にあたるもの。
歌川広重も籠渡しを描いた。