1646年、前田利長公の33回忌にあたり、
異母弟の第3代加賀藩主・前田利常が造営した。
戸室石製の三重墓壇の上に花崗岩製の笠付墓標がある構造になっており、
基壇は幅約16m×16m・高さ約5m、墓標の高さ約7m。
墓域は元々は180m×180m、約30000m2の広さであったが、
現在は10000m2に縮小している。
1609年9月13日に前田利長が高岡に入城したのを記念し、
毎年9月13日に前田利長公顕彰祭が行われ、中に入ることができる。
普段遠くから見ても立派だが、
近くから見ると金沢の野田山にある前田家の墓所とは雲泥の差がある、
壮大な墓だった。
瑞龍寺からの参道。
この付近で前田利長は荼毘に付されたといわれる。
狩野探幽が下絵を描いたとされる蓮華図が130枚ある。
四津谷道昭瑞龍寺住職。