念仏小僧 犬太郎

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

森家

1878年に建築された北前船廻船問屋。
北前船は「倍倍」に儲かることから「バイ船」とも呼ばれた。
また、行きと帰りに儲かることから、「のこぎり商売」とも言われた。
北海道へ、米、醤油、酒、薬などを運び、
北海道から、昆布、ニシン、サケなどを運んできた。
北前船による廻船業は江戸時代後期から明治時代中期にかけて繁栄したが、
その後は大型汽船航路、鉄道網、通信網の発達により急激に衰退した。

森家間取図。

正面。

北前船の錨。

かねせん。
江戸時代は、代々「四十物屋仙右衛門」と称し、
明治時代からは「森」を名乗った。

扉。

裏面。

オイの間、居間。
吹き抜けは井桁で組み上がる井楼組。

オイの間の囲炉裏。

オイの間の畳は模様敷になっている。

オイの間に置いてあった北前船、12.5分の1。

茶室。
大事なお客様しか入れない所。

茶室の隠し金庫。

前庭の廊下。
廊下の板は縁起を担いで「人が入る、金が入る」入組造り。
ガラス戸の角に柱がない。

前庭。

手前から、前座敷、仏間、座敷。

前座敷の天井は、エドヒガンザクラの根に近い部分の材を使っており、
根杢と呼ばれる複雑な木目が表れている。
そのため光線の具合で龍が浮かび上がる。

1950年、大原総一郎はビニロン製造のため、
岩瀬に倉敷レーヨン富山工場を建設する。
彼は森家を気に入り、買取って宿舎にしていた。
ビニロンが順調に育つように、神通川→陣痛から「晏山寮」と名付ける。
また当時福光町に疎開していた棟方志功にも版画を依頼した。
美尼羅牟(ビニロン)頌板画柵の4部作である。
1978年、富山を撤退する際、この家を地元に寄付した。

仏間の掛軸、美尼羅牟(ビニロン)頌板画柵(複製、本物は大原美術館)。
「真昼」、「黎明」

座敷の掛軸、美尼羅牟(ビニロン)頌板画柵(複製、本物は大原美術館)。
「深夜」、「夕宵」

鞘の間。

奥庭。

茶の間に置いてあった配置薬。。

台所に置いてあった櫛。

オイの間の前の土間の上にあった駕籠。

茶の間の前の土間は小豆島産の一枚石。

北蔵、道具蔵。

北蔵の庭に面した壁。

南蔵、衣装蔵。

収蔵品。

番頭部屋に上がる急な階段。

番頭部屋。

女中部屋へ上がる箱階段。

女中部屋。