念仏小僧 犬太郎

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

城山放浪

呉羽丘陵とは、北は長岡墓地から南は富山大学付属病院まで続く低山帯を指すが、その中心は呉羽山と城山である。

一般的にはこれらすべてを呉羽山と呼んでいて、城山も呉羽山に含まれてしまうことが多い。

富山百名山にも呉羽山が選定されたが、城山を中心とした山を指しているようである。

この山は呉羽山ほど都市化されておらず、春には西側の台地に白い梨の花が絨毯のように広がるのどかな丘陵地帯である。

歩行距離17km、高低差140m、歩行時間4時間。

今日歩いたルート。

北陸自動車道

杉谷の霊水。
初代藩主前田利次が杉谷山で鷹狩りや弓矢の訓練をする時に飲んだり持ち帰ったりしていた。
前田利次が入山中は、住民に水の使用を禁じたことなどから、「殿様清水」とも呼ばれている。

富山市ファミリーパーク

西金屋窯跡。
700年代中期に須恵器を焼いた窯。

富山ガラス造形研究所。

富山ガラス工房。

金草第一古窯跡。
600年代後半に須恵器を焼いた窯。
それまでの弥生式土器や土師器は800℃の低温で焼かれてもろかったが、須恵器は1200℃の高温で焼かれ固く高級品であった。

梨畑。

追分茶屋。
追分とは街道の分岐点のことで、元々は牛馬を追い分ける場所を意味した。
南西は旧北陸道、江戸時代初期までの本道であり金沢への最短コース。
北西は新北陸道、高岡開町後に本道となり高岡経由で金沢へ行くコース。
東へ行けば富山城下。

明治天皇中茶屋御小休所。

峠茶屋。
江戸時代はこの先を下りて舟橋で神通川を渡り富山城下に入った。

七面堂。
富山藩家老が甲州身延山七面大明神と同じ型の尊像を祀ったのが由来。
また、第2代藩主正甫により武運山長久院という寺も建てられ、富山藩主の祈願所ともなり、多くの参詣者で賑わったという。
明治の廃仏毀釈で一旦壊されたが、後に堂が再建された。

稲荷社。
明治時代の廃仏毀釈により七面堂から分かれた神社で祭神は七面大明神となっている。

白鳥城址
城山の名前の由来である。
豊臣秀吉が富山城の佐々成政を攻めた時に陣を構えた。
城山は呉羽山断層の西側が隆起してできたので、西側は緩く東側は急傾斜となっており、東側からの攻撃に対しの防御は固い。

朝日の滝。
この滝に打たれると不治の病も直るといわれ、江戸時代中期から後期には全国から大勢の参拝者が訪れ、参道には茶店や旅籠も立ち並んでいたという。

電波塔群。

牛ヶ首用水。

安田城跡。
白鳥城の支城。