念仏小僧 犬太郎

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

高岡古城公園散策

高岡開町の祖 前田利長公 関係歴史年表
1585年 8月 二上山守山城主。
1597年10月 富山城に移る。
1598年 4月 第2代加賀藩主となり金沢城に入城。
1605年 6月 家督を利常に譲り新川を養老領にして富山城に隠居。
1609年 3月 富山城が焼失し大町小学校にあった魚津城に避難。
1609年 4月 幕府から関野に城を築く許可を得る。
1609年 9月 関野を高岡に改め高岡城に入城。
1614年 5月 高岡城において死去。
1615年 6月 一国一城令により廃城。
1875年 7月 高岡古城公園指定。

利長は12年間守山城主を務めたことから、
関野の地の優位性を早くから認識していて、この地を選択したのだろう。

水濠を掘り土塁を築いた高岡城は400m×600mの広さがある。

築城当時、南側は丘陵地帯、北側は湿地帯であったらしく、
北側の濠は一重で十分だったらしい。

設計は当時加賀藩にかくまわれていたキリシタン大名で築城の名手であった高山右近といわれている。

石垣で築かれていたという説もあるが、築城期間、現形、築石所在から考えて土盛だったのだろう。

詩経鳳凰鳴けり彼の高き岡に」から関野を高岡に改名した。

加賀藩には金沢城があるが、卯辰山がすぐ傍にそびえるという防御上の
脆弱性をもつため、高岡城に期待したものは大きかったようだ。

したがって廃城後も越中の要害として現形をほぼ留めさせ、
米蔵や火薬庫を置いて軍事拠点としての機能を維持した。

これについて幕府からクレームが付かなかったのが不思議だが、
前田家は徳川家に巧みに取り入っていたようだ。

明治期に入り開発の危機にさらされたが、
地元の熱心な保全運動により公園に指定される。

2006年、日本百名城に選定される。

園内には動物園を始め種々の施設があるほか、
自然も豊かで、四季折々楽しむことができる。

歩行距離6km、高低差0m、歩行時間2時間。

高岡古城公園案内図。

北西側の濠。

高山右近

北東側の濠。

高岡市民体育館。

蒸気機関車C11。

フンボルトペンギン

ライオン。

散歩するポニー。

高岡市立博物館。 

築城当時の城下町。

高岡市民会館

射水神社

弓道場。

本丸広場。

東屋の上の鳳凰

城が高いことが分かる。

人生に疲れた人々。

前田利長公。

ひっそりと佇む遊園地。

朝陽の滝。

二の丸と本丸の間に残る石垣。

相撲場。

本丸井戸跡。

小竹薮広場。