今は、奈呉ノ浦に面した漁業の町。
昔は、射水平野の各地から水路を使って放生津潟に集まった物資を、
内川を経由して日本海へ送り出す、海運業でも栄えた町。
この放生津潟は富山新港に生まれ変わったが、
内川沿いの新湊は昔の面影を今も残している。
海から川、古い物から新しい物までが凝縮された面白い町。
海に近いと開放感があって清々しく、富山にいるような気がしない。
昨年、新湊大橋が開通し、かなり人出が多くなった。
歩行距離18km、高低差0m、歩行時間5時間。
海王丸。
1930年に進水した練習帆船。
全長97m、全幅13m、高さ46m、2,240トン。
後を海王丸II世に引き継いで引退し、1990年からここに係留され、付近一帯が海王丸パークとして整備された。
新湊大橋。
高さが127mもある富山県では珍しい巨大構造物。
きときと市場。
大阪の「かに道楽」とは違ってハリボテのカニだった。
新湊漁港。
一般的な早朝のセリだけでなく、漁場がすぐ近くにあるため午後1時にもセリが行われる。
春はホタルイカ、シロエビ、夏はアジ、秋はベニズワイ、冬はブリ。
放生津八幡宮。
越中の国守として赴任した大伴家持が豊前の国の宇佐八幡神を分霊した。
江戸時代末期から明治時代初期に活躍した射水市出身の矢野啓通が製作したケヤキ造りのライオンのような狛犬がいる。
インカ帝国もビックリの石積。
内川の風景。
川が生活と密接に結びついているため日本のベニスと言われる。
東橋。
スペインの建築家が設計した川を渡るだけでなく川で憩える橋。
川面を渡る涼しい風が心地よい。
山王橋。
地元出身の竹田光幸が製作した4基の手の彫刻が設置されている。
かぐら橋。
地元出身の大伴二三弥が製作した72枚のステンドグラスが輝く虹の架橋。
漁民義人塚。
1718年、多年にわたる放生津魚問屋の不当搾取に抗議するため、漁民400人が金沢の御公事奉行に直訴したが、当時直訴はご法度、代表2人が責任をとらされて斬首刑に処せられた。
牧田組。
現在は土建屋さんが使っているが、元は海運業者が建てた大正初期の建物。
木組みにレンガが貼られている。
日枝神社。
鳥居の上に乗っている物は、「不」の字を表し、「あらず」と読むらしい。
神仏混淆のため、神に不、仏に不、ということを表しているようだ。