立山開山は、約1300年前、時の越中国守佐伯有若の息子である佐伯有頼によるものとされているが、昔の人はどのように山に登っていたのだろう。
芦峅寺の宿坊に泊まり、次の日に宿泊施設のある室堂を目指したようだ。
距離20km、高低差2000m、結構な行程である。
ゴアテックスも何もない時代、わらじ、それとも毛皮、わらガッパ、今なら山を舐めているのかと叱られそうだ。
また、大岩山日石寺から大辻山を経由し、大日三山を経て、立山に行く道もあったようだ。
チェーンソーもなしに登山道を切り開くのはさぞかし大変なことだったろう。
さらに、剣岳は誰も登れない山とされていたが、柴崎芳太郎が頂上に立ったとき、既に錫杖の頭と鉄剣があったという。
などとこの山域のいにしえに思いを馳せていると歩いてみたくなる。
歩行距離13km、高低差 上り1080m 下り580m、上り4:10、下り1:40。
今日出会った登山者約50人。
昔の道標、左立山道。
登山道に腰を据え動こうとしないカモシカ。
850mから緩くなる。
美女平駅への最後の登り。
8時、美女平駅通過。
鉄の釜が置いてあった。
五右衛門風呂のようだ。
何のために、どのようにして運んできたのだろう。
称名滝、大日平、大日岳。
称名滝。
称名滝遊歩道は人がいっぱい。
ワンちゃんも5犬いた。
1時10分のバスで帰る。
このコースは、眺望のない雑木林の中をひたすら歩くのみで、おもしろみに欠ける。
木道が古く滑りやすいので、雨の日は歩かないほうが良いだろう。
それにしても材木坂は険しく、昔の人はわらじを何足履き潰したことだろう。